No.041

2022年06月05日

お小姓タヌキ

福岡市唐人町吉祥寺


吉祥寺山門


 時代は江戸期の享保年間(1716~36)。舞台は博多の浪人町、福岡市中央区唐人町のことである。「浪人町」とは、江戸時代各地の無職の武士が、福岡藩への仕官を求めて集まり滞留したことからつけられた地名のこと。プロ野球のソフトバンクチームの本拠地ペイペイドームのすぐそばにある。
 唐人町は、小倉から博多を経由して唐津に通じる唐津街道筋であった。唐人町の商店街辺りは、博多湾から黒門川を経由して大濠公園に通じる中間にあたる。黒門川沿いをそぞろ歩くと、当仁小学校(唐人が変化したのか)では、運動会の練習中。子供たちの叫び声が響き渡っていた。それから、この町にはなんとお寺さんの多いことか。今回は、「寺町」の中心部に建つ吉祥寺に絡んだ、おぞましい話を紹介しよう。


黒門川通りに残る町家造り


寺で会ったいい男
 享保の時代、浪人町(現唐人町)に竹中久左衛門という福岡藩士が住んでいた。久左衛門は、妻と一人娘のお梅と女中の4人で暮らしている。お梅は、博多の町でも噂の美人であった。年齢も18歳を迎えるということで、父親の久左衛門は、そろそろ嫁に出さねばと焦りを覚えていた。そんなことで、剣の仲間の松本半次郎と、毎晩のように近所の居酒屋で狸汁をたしなみながら談笑していた。久左衛門は、無類の狸汁が好きだったのである。
 秋晴れのある日、久左衛門はお梅を伴って近所の吉祥寺に出かけた。先祖の墓参りである。薦川(こおがわ)のそよ風を受けながら歩く父娘は、まるで恋人気取りである。墓参りの途中で一陣の海風が襲ってきた。父娘は慌てて庫裏に駆け込んだ。他に参拝客はおらず、薄暗い部屋にいる若い男が茶を運んで来た。
 男は二十歳前後で、色が白くて賢そう。お梅は、一目見て虜になってしまった。久左衛門の問いに男は、「黒田家の小姓で花の丞」と名乗った。父は黒田家の家老職に縁を持つ名家の次男であ、自分は礼儀作法を見習うべく吉祥寺に来ているのだと言う。


吉祥寺本堂


お小姓に狂う
 娘との墓参の後、久左衛門の周辺では、信じられないできごとが多発した。
あの日、屋敷に戻ったお梅は、昨日までの彼女ではなくなっていた。深夜久左衛門が厠に向かう途中、娘のうめき声で立ち止まった。「花の丞さま、わたくしを抱いてください」と囁いている。娘心のたわ言かと、その場を後にした。
翌日久左衛門にお城から呼び出しが来た。決められた日以外に城に上がることなどめったにない久左衛門である。小首を傾げながら、一応正装に着替えて登城するが、上司は呼び出した覚えはないという。
 墓参から三日たった日の朝、女中の甲高い叫び声に驚いて起き上った久左衛門夫婦。女中は台所で口から泡を吹いて、仰向けになって倒れていた。あたり一面に味噌をかき回したような臭いがまん延している。壁には人の手で味噌を掴んで塗りたくった跡がくっきり。
「味噌が大好きな狸の悪戯じゃあるまいし」と呟きながら臭いを辿って土蔵に入ると、味噌樽がひっくり返っていて、中身は空っぽだった。
 お梅はというと、青ざめた顔をしたきり両親の問いにも答えない。たまに口を開くと、「花の丞さま~」と、うわごとばかり。

赤毛の子
 ある時からお梅の体がおかしくなった。母親が尋ねると、「花の丞さま」と叫んで、男を求めるしぐさに。明らかに、目に見えない誰かに操られている様子である。そしてついにとんでもない事態が。お梅がお腹に子を宿したのである。夫婦は、娘を座敷に閉じ込めたまま時の経つのを待った。


 月が満ちて、お梅は子供を産んだ。なんとしたことか、生まれた子供は、姿形は人間であるが、体中に、長くて赤茶けた毛がびっしり生えている。医者に尋ねると、「これは狸の毛でございます。娘さんは、狸と結ばれなさったのでは…」と解説した。
 久左衛門は、飲み友達の剣の名手松本半次郎に狸退治を依頼した。寝ずの狸待ちをすること5日。ついに姿を現した妖狸は静かにお梅の寝室へ。隣で寝ている毛むじゃらの赤ん坊ににじり寄り、抱こうとした。そこに飛び込んだ半次郎が、一太刀のもと狸の心臓を射抜いた。妖狸と赤ん坊は、その場で息絶えた。
 物音で駆け込んできた久左衛門夫婦が立ちすくんだのはその後である。静かになったお梅の顔に血の気がない。妖狸と赤ん坊の死に合わせて、お梅もこの世におさらばを告げていたのだった。お梅が20歳の誕生日を迎える前夜の亥の刻であった。現在の午後11時である。(完)

    
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